なぜ私はこの番付を作ったのか
こんにちは、中里一です。
私は百合の専門家であり、百合の隣接領域としてBL(ボーイズラブ)に関心を抱いてきました。
数年前、BLを門外漢に向けて紹介・解説する記事を探し集めて読んだことがあります。そのとき私はある疑問を抱きました。 記事中で例示されているBL作品は、はたしてBLというジャンル全体を適切に代表できるようなものなのか?
代表的でない作品を例示し、BLの実態にそぐわないことを述べている記事があるとして、その嘘をいったいどうすれば証明できるのか。 この問題を解くために私は週間ベストセラーリストに注目しました。
週間ベストセラーリストのノベルス(新書フィクション)と文庫には、BL作品がしばしば多数ランクインします。 ここからデータを抽出できるのではないか、と。
私が求めるデータは以下のような性質のものでした。
1. 作家の売れ行きを表す
売れ行きベスト10に入るBL作家をすべて無視し、ベスト50にも入らない作家ばかり集めて「これがBL」と主張すれば、 それは明らかに嘘です。このような嘘を暴くには、売れ行きの絶対数は必要ありません。作家同士の相対的なデータ、
「誰が誰より売れているか」だけで十分です。
2. 著作点数や頻度に左右されない
著作点数が多ければ目立ちますが、目立つ作家と売れている作家は異なります。 代表的でない作品を例示してしまう記事は、この罠に陥っている場合があります。
3. 出版社の営業力に左右されない
BLを扱う出版社は小規模のところが多く、営業力が大きく異なる可能性があります。
このような性質を備えたデータを求めて私は、レーティングシステムを開発しました。 レーティングシステムは、作家の売れ行きの大小を「R」という数値で表します。 算出方法とその根拠はこちらで詳しく述べています。レーティングシステムの能力を私なりに評価すれば、 上記の性質のうち1と2は十分に満たしており、3はいまひとつです。
その当時、私の関心はBLだけだったので、BL作家にかぎってRを算出しました(算出に必要なデータを入力するのは大変な作業なのです)。この試みは上記のような結果を得ました。レーティングシステムがもっと広い範囲に適用できる、
すなわち、この番付を作れるということはわかっていましたが、私にはそうする理由がありませんでした。
時は流れて、私はHoundを作り、ジェンキンスを作りました。
これらのサービスを活用するアプリケーションとして、この番付が浮かび上がりました。
妄想から科学へ
「売り上げ文学論」という妄想があります。「売れない文学に価値はない」という妄想です。 笙野頼子がこの妄想を詳しく批判しているので、ぜひご一読ください (『徹底抗戦!
文士の森』、
『ドン・キホーテの「論争」』)。 「文学」を「ライトノベル」や「エロまんが」と置き換えても、やはり妄想です。売れる・売れないの把握が妄想だからです。
日販・トーハンの経営陣でもないかぎり、出版物の売れ方の全体を知ることはできません。公開されている情報は、氷山の一角どころか、 肉眼で見える星空のようなものです。宇宙全体とは比べるのもおかしなくらい、わずかな情報にすぎません。
まるで古代ギリシャの哲学者のように、星空を漠然と眺めては適当な思いつきをわめきあっているのが、売り上げ××論の現状です。
とはいえ、ティコ・ブラーエの観測は肉眼で行われました。全体を知ることはできなくても、何事かを知ることはできるのです。 そのためには、場当たり的に根拠を引っ張り出すのではなく、体系的で網羅的な測定と記録を行う必要があります。
達人や占い師からお告げをたまわるのではなく、記録と仮説にもとづいて予測を算出する必要があります。 そしてなによりも、すみずみまで公開され、検証可能である必要があります。
達人や占い師の神秘的なお告げは、非科学であるだけでなく、耳を傾ける人の世界観を歪めます。
この番付の上位にくる作家を眺めてください。あなたは、この番付をそっくりそのまま自分の価値観にしてしまえるでしょうか? この番付で上にくる作家はかならず下の作家よりも大切である、などと信じられるでしょうか?
そんな人間はおそらく存在しません。多数決は、時と場合によっては優れた方法ですが、あなたの価値観を決める方法にはなりません。
あまりにもわかりきったことです。しかし神秘的なお告げは、このわかりきったことを見えなくします。 相手の価値観にあわせて、相手が喜ぶことだけを語るからです。「文学業界は赤字だからダメ」と語る人は、
「エロゲー業界は赤字だからダメ」とはけっして語りません。
神秘的なお告げを退ければ、売れ行きの本当の仕組みが見えてきます。売れ行きは、消費者を表すデータであり、 あなたと作品のあいだに入り込めるようなものではない、ということがわかります。売り上げ文学論はその存在自体がまやかしであり、
語るとすれば「売り上げ消費者論」である、ということがわかります。
売り上げ文学論が退いて、売り上げ消費者論が台頭し、すべての人々=消費者が、「消費者はバカだ、なにもわかっちゃいない、 多数決には任せられない」と悟ったとき、万人の万人に対する闘争が始まるでしょう。その闘争こそが私の望むものです。